先日観た『インビクタス』からの流れで、この頃のイーストウッド映画をあまり観ていなかったなと思い鑑賞。Netflix にはなかったので Amazon Prime Video を利用しました。
死者の言葉を聞く能力を持つ本物の霊能者でありながらそれを商売にすることに疲れ果てたジョージ、津波に巻き込まれて臨死体験を経ることで人生観が変わってしまったマリー、双子の兄を事故で亡くし、麻薬中毒者の母親とも隔離されて孤独になってしまった少年マーカスの三人が、それぞれの死生観に悩みながらも最後にはロンドンで出会う…という物語。日本では 2011 年に公開されたものの、直後に東日本大震災が発生したため津波の描写を含む本作は国内上映中止になってしまったようですね。どおりであまり話題にならなかったわけだ…実際、あの震災時の本当の津波の映像を目にした後では、本作のリアリティのある津波映像が余計に恐ろしく感じました。
ここ十年余りのイーストウッドは死生観、特に「自分がどのように死んでいきたいか」を描いたのではないかと感じる映画を数多く手がけてきました。しかもそのどれもが無情な現実を淡々と描いたものであり、クリント・イーストウッドという監督のリアリストな部分が前面に出ています。そのイーストウッドが霊能者や死後の世界をテーマにした映画を作った、というのは個人的には俄に信じがたかった。でも、本作はそういう非科学的な事象に関してもあくまでも客観的に淡々と描いており、いかにもイーストウッドらしいなあ…と感じました。
霊能者ジョージ役はマット・デイモン。近年かなり幅広い役を演じる引き出しの多い彼ですが、『グッド・ウィル・ハンティング』しかりこういう「特別な才能をもつ不世出の人物」をやらせると特に光りますね。嘘をつけない性格ゆえに身内に利用され、大切な人とは距離ができてしまい、悩みの底に落ちていく芝居は観ていてこちらまで辛くなってくるものがあります。ヒロインに相当するマリーは売れっ子ジャーナリストだったのに臨死体験を機に人生観が変わり、業界から干されていってしまう…というのは、日本でも有名人がそうやってスピリチュアルなものに取り憑かれてしまう報道を時折見かけるだけに、個人的には共感しづらいところがありました。
映画の構造としてはシナリオの大半が三者それぞれの物語で、それが繋がるのはごく終盤だけ。三人がずっと各々で悩み続けるシーンが長く、ラストもあまりカタルシスがないまま示唆的な表現だけでふんわり終わってしまったため、終幕後の印象としては微妙なものがあります。しかしイーストウッド的には霊的なものを肯定も否定もせず、それ自体よりもそういうものに導かれるように出会った三人が互いに共感することで、それぞれの悩みから少し救われるという経過を淡々と描きたかったんだろうな、と思います。
そういう意味では、この映画単体で観ると何が言いたいのかよく解らないけれど、近年のイーストウッド作品の流れで読むと何となく判るところがある。人間にとって死とは何か、人生における充足とはどういうことか。ハイコンテクストで難しい作品ですが、個人的には嫌いではありません。
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