希望を捨てる勇気 – 池田信夫 blog
希望について – 池田信夫 blog
私が普段から拝読している blog のひとつ、経済学者・池田信夫氏のエントリーです。氏の blog は物言いが鋭いので賛否両論あるようですが、客観的かつ論理的な内容が多く、(経済学は専門外な私には難しい内容も多いものの)個人的には共感するところが多い。中でも特に上記のエントリーは、コメント欄/トラックバック/はてブでもかなりの反響があったようで、私も考えさせられました。
そのポイントはここに尽きると思います。
こういう将来を合理的に予測すれば、それに適応して生活を切り詰め、質実で「地球にやさしい」生活ができる。日本は現在の欧州のように落ち着いた、しかし格差の固定された階級社会になるだろう。ほとんどの文明は、そのようにして成熟したのだ。「明日は今日よりよくなる」という希望を捨てる勇気をもち、足るを知れば、長期停滞も意外に住みよいかもしれない。幸か不幸か、若者はそれを学び始めているようにみえる。
いつ頃からですかね?たぶん自分が社会人になったくらいからだと思いますが、「不況だ不況だ」といくら騒いでも、その状況が数年も続けばそれは不況じゃなくてそれが常態になったということなんじゃないだろうか?と考えていました。それをして「不況」というのは、それよりも良い状況を知っている人々が、良かった時代を回顧して現状を否定しているだけではないかと。確かに「100 年に一度の経済危機」なんていう言葉は、そういう世代が社会を一斉に思考停止にさせ、目先の便益を図るための方便に過ぎません。
社会に参画するようになった頃には既にバブルが崩壊していた世代にあたる私にとっては、無い物ねだりはやめて現状を肯定(あまりポジティブな意味ではなくて、「与件として受け容れる」という程度の意味で)しなくては建設的な解決策にはたどり着けないのでは、と思っていました。
だからある意味、池田氏のこのエントリーは私のその疑問をうまく表現してくれた、と感じました。こういう経済環境下で、企業が成長をする前提に立った米国流のファイナンス型経営が本当に正しいのか?いや、現金主義の伝統的日本型経営が正しいとは言いませんが、少なくとも評価体系は「前年比何%」という「去年より今年、今年より来年は成長していなくてはならない」という前提ではなく、例えばゼロ成長(現状維持)を肯定して経営の質を評価するような形にしなくてはならないのではないか、とか。近年の企業の成長は規模の経済を利用したグローバル化による市場拡大によって為されることが多いと思いますが、仮にそれで全世界の市場が成熟・飽和してしまったら、その企業は新業態に参入するか地球外に市場を見出す以外に成長の余地がないということですよね?
ということを時々考えたりして、「売上と利益」「成長とシェア」みたいな話でぐるぐる悩んでいる私ですが(転職してからその傾向がますます顕著かも)、もっと突っ込んで勉強してみる必要を感じています。先日受講したとある会計系の研修で、講師の先生にそういう質問をしてみたら、「その答えが欲しければ私に弟子入りして一年くらい勉強しなくてはなりませんよ」と言われてしまったので、そんな簡単な問題じゃないのだろうと思いますが。
起点に戻って、もうひとつ。
「希望を捨てる勇気」って、とてつもなく重い言葉だと思います。「日本経済にもう成長はない」「ゼロ成長を前提に、均衡の取れた経済体質になる」と言葉にすることは簡単ですが、自分たちの労働や知的生産によって何かしらの価値あるものが生み出されると信じていて、そこに日々の喜びや可能性を見出す我々の生き甲斐や、さらに次の世代の可能性をつぶす要因にもなりかねない。やっぱりそこも何らかの質的転換の道を探るくらいしか今の私には思いつきませんが、経済の現状を受け容れることはできても、自分たちが持っているはずの何かの可能性だけは諦めたくないのです。
そういうマクロ的な経済の話と、自分の生きる意味の話をごっちゃにするから余計に訳が分からなくなるのだと思いますが、毎日流れる経済危機のニュース漬けになると、そういう悩みも尽きないのです。明らかに自分の知識不足で先に進めない部分もあるので、もっと勉強しないとなあ・・・。
コメント
「100年に1度の」=メディアで取りざたされる事件被害者女性の枕詞「美人」てなもんや三度笠。
第2次ベビーブーム、就職氷河期、医療負担1割→3割、ボーナス貰える立場になったら、会社業績不振&課税総額制、・・・エトセトラエトセトラ。
いわゆる好景気の恩恵を直接に受けたことが一切ない上、ベンチャー機運華やかなりし頃、名ばかりベンチャー零細企業から、現在の業界のキャリアをスタートした我が身としては、常に「明日が今日より良い」状態が続いておりまして、不況の影響は、個人的には全然どこ吹く風な今日この頃でございます。
希望を無くしても生きられる世の中の豊かさに感謝しつつ、明日を今日より良い日にするべく邁進中です。
生活を切り詰める=何も積み重ねない では無いわけで。
ネットのインフラ1つ取ってみても、こんなタダみたいな値段で流量無制限で全世界と繋がれる国は、数えるほどしか無く、そこらじゅうに無限のチャンスが広がっている事を、旅でもしてみて、自覚するといいのではないのかなぁ、日本の若者は。
新興国の(中流以下の)若者の置かれた、本当に絶望的な状況はこんなものでは無いのです・・・
なーんて、段々年寄り風味な物言いをするようになってきたなと感じますね・・・・
根拠0の虚言も嫌いですが、ペシミズムに彩られた、無責任な物言いをする人の言葉は、心に響かないんですよね(笑)
たとえ、どんなに正しくとも。
用意された「大きな物語」が失われたのであれば、皆それぞれがストーリーテラーになる事が必要ですね。今年の、大企業の新入社員への訓辞的な「自分で考える事が必要」(大学もそれを受けて、自分で考えられる能力の必然性を学生に説いてるとかなんとか)というのは、そのあたりにも通じるような気がしますが、一方で、皆が皆、本当に自分で考えられる個人になってしまったら、日本企業は困ってしまうのではないかなぁ(笑)
「自分の手のひらの上の範囲内で、自分の要望通りに自立行動してくれ。」が正しいような。
どんどん話がとりとめなくなって来そうなので、終わり。
>「その答えが欲しければ私に弟子入りして一年くらい勉強しなくては
>なりませんよ」と言われてしまったので、そんな簡単な問題じゃないの
>だろうと思いますが。
1年で得られるなら、かなり簡単な方の問題のような気もします(笑)
女は永遠に謎なのです。
20年前の水準に逆戻りとかよく言いますが、おいおいそりゃバブル期真っ只中じゃねーかっ!
みたいな、ね。
戻ってなにが悪い、と。不況以前を知る身としては思うわけです。ゼロ成長を受け入れる覚悟。
これはもっていなければ確実にヤバイ。ウチみたいな100%虚実を相手にする仕事なんかとくにね。
地域経済の閉塞感はどんどん増していて、明日はあっても明後日は無いかもくらいじゃないと
地方は生き残っていけません。成長じゃなくて維持ですね。人のパイを横取りすることじゃなくて。
みんなでシェアしないといけない。世の中の金の総量は決められているんだという点にみんな
気付かなきゃ。マスク関連銘柄の値上がりを見るとちょっとガッカリしちゃいますけどね。
て言うかお久しぶりですねー。
今度、イベント映像部門に配属されましたー。BさんSさん、仕事くださいw
あら、お久しぶりじゃないですか!ちょうど最近、元気にしてるのかな?と思ってたところでした。
> 成長じゃなくて維持ですね。人のパイを横取りすることじゃなくて。
> みんなでシェアしないといけない。世の中の金の総量は決められているんだという点
これは私も同感です。自分たちだけ良ければ良いという近代アメリカ的な倫理が行き過ぎている最近の風潮はどうも違和感があって。
それでも、世の中の幸せの総量だけは決まっていないと信じたいですが。
> BさんSさん、仕事くださいw
うちも最近お金なくてなかなか映像に予算回せなくなりつつあります。安くしてくださいw。
> 20年前の水準に逆戻りとかよく言いますが、おいおいそりゃバブル期真っ只中じゃねーかっ!
さおだけ屋も「20 年前のお値段です」って売ってますが、おいおいそりゃバブル期真っ只中のお値段じゃねーかっ!と突っ込みたくなりますね(ぉ。
相変わらずFFにはまってたんですけどね。
配置換えのおかげでのほほんとネトゲやってる場合じゃ
無くなっちゃって、シャバにもどるリハビリ中であります。
都内は近いから、身内価格でプロジェクター担いで走って行きますよっ。