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アナログとデジタルと

最近、自分の写真のルーツについて書くのが流行っているようなので、私も何年か前に書こうとしてうまく文章にできなかったことを、改めてまとめてみたいと思う。

私がレンズ付きフィルム以外で初めて自分で買ったカメラは、Cyber-shot の DSC-F2。特にカメラや写真には興味がなかった当時(大学生だった)、ごく初期のデジタルカメラとして登場した DSC-F1 を目にして、カメラは欲しくないけどこれは欲しい、と思ってお金を貯めて半年後に DSC-F2 を買ったのが最初。レンズ部が回転するという、フィルムカメラの常識に囚われない斬新な発想にデジタルならではの大きな可能性を感じたのがきっかけだった。
余談だが、PC についても当時自作派でノートの必要性を感じていなかったのが、初代 VAIO 505 の登場に衝撃を受け、ノート PC は要らないけどこれは欲しい、と思って半年後に PCG-505EX/64 を買った。よくわからないけれど、これらは「デジタルの力でこれからの世の中を変えそうな何かをカタチで体現しているもの」だと感じた。結果的に、これらの買い物が自分の後の人生に大きく影響することになった。

というわけで、写真はほぼ完全にデジタルから入っておきながら、いっぽうでは Y/C マウントのツァイスレンズで撮られた del さんの写真に強く影響を受け、自分でもツァイスでこんな写真を撮ってみたいと思うようになった。そうなると、Y/C マウントのレンズが使えるボディという点で、初めて買う一眼レフも EOS になるのは必然と言って良かった。デジタルの可能性に魅入られて写真を始めておきながら、フィルム時代のレンズを使うというのは矛盾ではあったが、それも楽しいと思えた。

つまるところ私の写真のルーツは機材から入ったことになるが、レンズの選び方や撮り方次第で肉眼で見るのとは違う世界を切り取ったり、肉眼で見たままではない心象の部分まで一枚の画として表現できるのは、写真の素晴らしいところだと思う。「実をすもの」ではなく「で描く」。そう認識できれば写真はとても面白く、機材選びは楽しい。

[ Sony NEX-5R / Carl Zeiss Biogon T* 28mm F2.8 G ]

私の尊敬する写真家の先生が、最近こんなことを仰っていた。

「銀塩での経験をもとにデジタルの写真を語る写真家は多いが、例えばデジタルの高感度特性を活かしたトワイライト写真のように、銀塩時代の常識の延長線上では撮れない写真が撮れるのがデジタル。これからの写真は、これからのデジタル世代の写真家たちのものだ」

確かに、デジタルカメラの技術はこの 15 年ほどの間で驚くべき進化を遂げ、もはや完全にフィルムの性能を超えたと言って良い。しかし、その進歩に比べれば、写真芸術、あるいは商業写真の撮り方そのものが大きく変わったとは思えない。もちろん、デジタルを活かす撮り方をするのが常に良い写真を撮る手法とは限らないが、技術の進歩ほどには、撮る側の意識や撮りたいと感じる瞬間には変化がない、ということなのかもしれない。

いっぽうで、アナログとデジタルという話で言うと、数年前にとあるベテランの電気系エンジニアとの会話でこんな話が出たことが、今でも印象に残っている。

「最近の若手エンジニアは、デジタルならば常に理論値が出ると思っているところがある。が、処理する情報量が増える(高周波にになる)と波形はむしろアナログのそれに近づいていく。そのときに品質の差を生むのは、アナログ回路を扱うためのノウハウだ」

私は電気設計の経験がないので正確にこういう言葉遣いであったかどうかは忘れてしまったが、言わんとすることは理解できた。

これらの二つの言葉は、相反することを言っているように聞こえるが、本質的には同じことを言っているのだと思う。既存の知識や経験がヒントをくれることもあれば逆に邪魔をすることもあるけど、大事なのは「自分の知識が世の中の全てかのように思い込んだり、自分で自分の立場を規定するのではなく、常に自分の外側に存在する可能性に目を向けること」なのだろう。アナログかデジタルかは問題ではなく、まだ誰もやったことがないことを実現できる可能性を、既存の自己に囚われずに見つけ出すことだ。


[ Sony NEX-5R / Carl Zeiss Biogon T* 28mm F2.8 G ]

とはいえ、デジタルが拓いてくれた可能性というのももちろんあって。写真について言えば超高感度イメージセンサや HDR のような連写合成で実用的な暗所撮影を可能にしたことももちろんそのひとつだが、個人的にはデジタルがイメージングの世界を変えた最大の要素は「撮った後の使い方」に他ならないと思う。

例えば暗室やリニア編集機がなくても写真の現像や動画の編集が PC 一台あれば容易にできるようになったこと。つまり撮影後のワークフローを変えた、撮影後の作業を撮影者のものにして、そこでの表現の自由を撮影者自身に与えたこと。それによって個人レベルでもその気になれば専門業者の仕事に匹敵するクオリティの作品を作ることが可能になったことは、デジタル化の最大の恩恵の一つだろう。
そしてもう一つは、コミュニケーションを変えたこと。カメラがデジタル化されて、インターネットや携帯通信網が普及すれば、誰もがビジュアルコミュニケーションを使う時代が来る。それは 1990 年代後半には既に予想されていたことではあるが、個人間のリアルタイム通信がせいぜい電話と FAX だった時代に、今日のように写真や動画を誰もが当たり前にコミュニケーションに使う日が 20 年も経たずにやってくるとは、具体的にイメージできていた人は多くはないのではないだろうか。

だから、私は写真を撮る。芸術として、というよりはむしろ、誰かとの写真を通じたコミュニケーションを主な目的として。

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