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アンドロイドは電気羊の夢を見るか?

フィリップ・K・ディック / アンドロイドは電気羊の夢を見るか?

映画『ブレードランナー』の原作となったフィリップ・K・ディックの小説、初めて映画を観たときに文庫で買って読んだのが 20 年近く前だったでしょうか。今ではあの文庫本もどこかに行ってしまいましたが、今年 11 月に映画の続編『ブレードランナー 2049』が公開予定ということで、復習も兼ねて電子書籍版で久しぶりに読み返してみました。映画のほうはもう今までに何度となく観ていますが、小説を読むのはこれで二度目。あらすじは憶えているけど細かい部分はさすがに忘れてしまったので、新鮮な気持ちで再読できました。

警官であり賞金稼ぎ(バウンティ・ハンター)であるリック・デッカードが脱走したアンドロイドを狩るというストーリーは原作小説も映画も共通していますが、描かれ方は大きく違います。リドリー・スコットによる映画版は東アジア的なサイバーパンクの世界観が印象的でしたが、原作小説は(文字だけだから当然だけど)映像美よりも SF 的な奥行きの深さや読者への哲学的な問いかけが印象に残ります。その対比は小説のタイトル『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』自体が哲学なのに対して、映画ではバウンティ・ハンターがタイトルでもある「ブレードランナー」に、アンドロイドが「レプリカント」というように、呼称が中二的な感じ(笑)に改変されているところにも現れています。


しかし両者に共通するのは「人間らしさとは何か」「本物と偽物を分けるものは何か」というテーマ。映画版はデッカードとレプリカントたちの追跡劇を軸に、それ以外の要素はほとんど切り落として構成されているのに対し(それは二時間という尺を考えればやむを得ないと思う)、原作小説はそれ以外にも複数の登場人物やエピソードを織り交ぜ、その哲学的なテーマに関してさまざまな角度から読者に考えさせるような内容になっています。映像でこれをやるとダレてしまったでしょうが、小説だからこそこういう掘り下げ方ができたと言えます。
我々の生きる現実社会では、ロボットはまだ人間と生活を共にするレベルには至っていませんが、その構成要素の一つと言える対話型 AI は着実にその精度を高めてきており、コンピュータやスマホのスクリーン越しに「人格」を感じられる程度には進化してきています。その相手を「人格」と認めるかどうかは人間側の認知の問題であるし、AI のほうが人間よりも親切な対応をしてくれる場面だってあり得る。人間の意識や行動だってそれまでの人生における経験の蓄積に立脚した判断に他ならないわけで、AI のビッグデータに基づいたアウトプットと何の違いがある?とも言えます。この疑問に、ロボットがほぼ空想の産物だった約五十年も前に取り組んだフィリップ・K・ディックという作家には改めて敬服するばかりです。

さて、映画版の続編である『ブレードランナー 2049』のほうはオリジナル脚本による完全新作とのことで、若干不安はありつつも(笑)非常に楽しみ。前作の主人公デッカード(ハリソン・フォード)も登場しつつ、新たな主人公を演じるのが『ラ・ラ・ランド』のライアン・ゴスリングというのも期待が高まるところ。果たしてあの『ブレードランナー』の 30 年後の世界を現代の CG 技術でより進化させた形で表現できるのか、あるいはやっぱり実写ベースのウェットな世界観のほうが良かったよね、となるのか。ひとまず 11 月の封切りを待ちたいと思います。

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