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フューチャリスト宣言

梅田 望夫・茂木 健一郎 / フューチャリスト宣言

ウェブ進化論』『ウェブ時代をゆく』に続いて。

梅田望夫氏と脳科学者・茂木健一郎氏の対談を書籍にまとめたものですが、これがなかなか Web の未来の正鵠を射ている。茂木氏のクオリア本は以前読んだことがあって、アハ体験以前から「感情の成り立ちを研究する脳科学の第一人者」というイメージはあったんですが、こんなに Web に入れ込んでいる人だとは知りませんでした。
この本には梅田氏の先の二冊以上に、私に気づきというか「自分がこうしたいと思っていたこと」を改めて自覚させてくれるポイントが多く記されていると思います。

以下、いくつか引用。

インターネット、それからリナックスのような「オープンソース」に若いときに触れた人は、その影響を強く受けます。インターネットの成り立ちのところに、利他性というかボランティア精神的なものがかかわっている。インターネットという素晴らしいものが毎日動いている裏には、いろんな人のただ働きがある、無償の奉仕をしている人がいる。

そう、こういう感覚は実際にネットの中に生きて、ネットの「善の側面」を体感してきた人じゃないとなかなか理解されないものです。
でも、こういう奉仕の精神ってリアル世界にも本当はたくさん転がっているものだと思うんですが。それが、一般的には「ネット=悪」みたいな縮図で表現されてしまうのは、ネットの反対側にいる表現者たち(もう少しネガティブな表現をすると、旧来の情報流通の利権を握った人たち)がネットに対する危機感を抱いているからに他ならないからじゃないでしょうか。

情報というのはもともと自らが流通したがるもの。(中略)一方、もちろんインフォメーションにはパワーがあるわけで、自分だけがあるインフォメーションを持っていることは自らの権威につながる。日本の学者はそれによって生きてきたわけです。

2001 年頃に「情報は情報のあるところに集まりたがる習性をもっている=『情報の万有引力』」に気づき、国内で情報の最も集まる東京に戻ってきた私には、ものすごく実感のある言葉です。ただ、情報というものには金銭と同じような価値・経済への影響力があるため、それを独占して利権につなげようという考えが生まれがちなことも事実。それをある程度自由流通させて、向上心のある人々で世界をより良くしていこう、というのが、「インターネットの意志」みたいなものなんじゃないかと思っています。

インターネットに個がぶら下がっているときの「ぶらさがり方のかたち」を考えたときに、僕のイメージは、日本はぶどうでアメリカはリンゴだというものなんです。(中略)組織の構造で言っても、日本はぶどうの房。アメリカはリンゴの木という組織に、個人が一個一個のリンゴ。そういう感じを受けますね。

そうか、私はリンゴになりたかったんだ。日本企業(前職は外資系でしたが、資本が海外というだけで組織構造はかなり日本的だった)の中での立ち振る舞いに妙な違和感を持ち続けている根本には、こういう思いがあったからだと気づかされました。ネット上で固有名詞(本名じゃないけど)をもって活動してきた結果、組織よりも個人志向が強くなってきたと言えばいいのか。
日本の社会も、もっと「組織の中の個人の生き方、考え方」にフォーカスを当てても良いような気がするんですが。でも、それは「個人が責任を取る」ことに直結するので、(悪い意味で)伝統的な日本社会には馴染まないんだろうとも思います。

ところが今は URL、ブログがあればいい。ネット上のプレゼンスがその個人を支えるインフラ。それを見てもらえばどういう人かわかるから。(中略)つまり、ある組織に所属するということで完結している人は、これからは輝かない。

上記のようなことを、簡潔にまとめてくれたのがこの文章。
リアル社会をそう簡単に変えることはできないから、当面できることと言えば blog などで個人(リアル社会での立場を明かすかどうかに関係なく)の考え方を発信して、自分の立ち位置をハッキリさせていくこと。それでも私はネット上での情報発信を比較的リアル社会への足がかりにできたほうだとは思いますが、こういうことってもっと当たり前になっても良いはずです。極論すれば、名刺代わりに blog の URL を交換するみたいなことが。

インターネットの一二年の歴史の中で、悪ってあちこちにありますが、それはこそこそやるもので、悪が連鎖して膨れ上がっていく感じがあまり無い。(中略)「知の喜び」「学習の喜び」のほうが奥が深く、普遍性があるから、トータルでインターネットのインパクトを考えたときに、善性が自己増殖してくるほうが表にでてくる。そういう仮説を僕はもっています。

あ、これ私も全く同じ立場。

ネットが人間の脳に対して、なんでそんなに相転移的に働くのか、ということについて考えていくと、一つのビジョンが見えてくる。それは、われわれの脳自体が、まさにウィズダム・オブ・クラウズだということです。というのは、脳の神経細胞は、一つひとつが、それぞれ一万くらいのシナプス結合を結んでいて、情報を自由にやりとりしているんですが、神経細胞一個一個のレベルは、たいした知恵はない。人間の脳って、これまでのフィジカルなコンテンツのなかでは、それほどの情報交換をしていないんですよ。(中略)ただ、ブログやメーリングリストやスカイプなんかを使いまくると、(中略)脳同士のインタラクションが、いままでとは比べものにならないくらいの複雑なネットワークを織り成すようになるんですね。そこで生まれてくるウィズダムというものが、人類を次のステージに連れて行く。

うわー、『ウェブ進化論』を読んで私が感じたことがそのまま活字になってる(笑。やっぱり進化の行く先は、全体が一つの「個」になるような繋がりが生まれることだと思うんですよ。人類全体にとっての神みたいなものがいるとすれば、きっとそれは人類の総体のことを指すんだと思うんです。近年の SF 作品で数多くこういったメタファーが用いられるのは、むしろ人間が潜在的にもっているそういう意識がもたらした預言と言ってもいい。

他にもいくつか気づきとなるフレーズはありましたが、ざっとこんなところ。別に私のために書かれた本ではありませんが、まさに「私のココロがわかるなんて」と言いたくなりました。

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