先月の前編に続いて公開された映画の後編を観てきました。
サイドストーリー的作品とはいえ『踊る大捜査線』シリーズ最新作だから湾岸署のお膝元で観たいと思い、青島コート(ヒューストン M-51)を羽織ってお台場まで行ってきました。
前編『敗れざる者』では室井慎次が警察を辞めて秋田に戻った経緯とその後に犯罪加害者/被害者の子女の里親として奮闘する姿、それから視聴者に対する過去作の振り返り(回想シーン)が中心でした。いくつかの事件は起きるものの前編ではそれらは解決することはなく、後編『生き続ける者』へと持ち越し。前編単体としては消化不要だった分、後編ではそれぞれの物事が有機的に繋がって大きな事件を解決する話になるのだろう…と想像していました。ただし警察を退職した室井が捜査の指揮を執る展開は考えにくいからどうするつもりなんだろう…という不安も同時にありました。
個別のネタバレは避けますが、結論から言うとこの映画は後編に至っても大きな物語にはなっていきません。室井が個別の事件に必要以上に介入することはないし(捜査や取り調べの手伝いをさせられるくだりはある)、個々の事件はそれぞれに小さく解決していくだけ。前編と同様に室井が三人の里子と不器用に接し、その想いが子どもたちや周囲の人々へと徐々に伝わっていくことが脚本の軸になっています。捜査線は特に踊りはせず、むしろ柳葉敏郎版『北の国から』を観ているような感覚。映画のタイトルに『踊る大捜査線』とつかなかったのは作風が大きく異なるからなんですね。
タイトルといえば前編は組織の権力闘争に敗れた室井を主人公に置きながら『敗れざる者』となっており、後編は『生き続ける者』。映画を観た後ではそれぞれが逆説的な意味合いを併せ持つタイトルだったことが理解できました。まるでヱヴァンゲリヲン新劇場版のサブタイトル(『You are (not) alone.』など)と似たアプローチですが、踊るシリーズ自体がエヴァをオマージュした台詞や演出を多用したドラマだっただけに納得感があります。
映画全体を通じて、個人的には人物や事件が脚本の都合で動かされている部分がかなり多いことが気になりました。前編から引っ張ってきたいくつもの事件や人間関係は幾分のカタルシスも感じさせないまま解決するし、好意や悪意をあまりにも簡単に翻すキャラクターが多すぎる。室井の里親としての生活とムラ社会との確執、それぞれの里子の成長、さらに既存のキャラを出すために用意した事件と「日向真奈美」…ストーリーラインを用意しすぎたせいで整理しきれなくなったように見えました。また『踊る』は多少リアリティーに欠ける部分があってもノリと勢いで面白さを感じさせてきた作品だっただけに、そういう勢いの部分を抑えて重めの人間ドラマに注力した結果不自然な部分が浮き彫りになったようにも感じます。
全ての事件が終わってエンドロール後、予想外の人物の登場と共に「THE ODORU LEGEND STILL CONTINUES」の文字。これを見た瞬間に理解しました。昔から噂されてきた織田裕二と柳葉敏郎の不仲説が事実だったとして、『踊る』の続編を作るにしても青島と室井の絡みを用意しないのはあまりに不自然。ならば本編を再始動する前に室井慎次の物語は畳んでおく必要がある。という事情で作られたのがこの二作の映画だったということではないでしょうか。
いち組織人としては、現場で目先の正義感に衝き動かされて無茶をやる青島よりもどうにも変われない組織の中で時には寝技を使いながらでも正義を貫こうとする室井の方が共感できる部分が多いと感じてきました。室井と青島の関係があるから『踊る』は面白かっただけに、室井がこういう形でシリーズから退場してしまうのは残念でなりません。
俳優陣の芝居はとても良かったのですが、メタな部分でのモヤモヤが前編以上に大きくなってしまった映画でした。これは『踊る』本編の続編が作られるとしても観に行くかどうか迷うなあ…。
コメント