帰省中に観よう、と思って今までとっておいた映画を観に行ってきました。
『もののけ姫』以降の宮崎映画は、『崖の上のポニョ』という名作を経てもなお、もしかしたら老人の昔話の繰り返しやお説教に付き合わされるのではないか…という不安を抱いて劇場に足を運ばせるものがあります。今回は、太平洋戦争にまつわる物語であるが故に、さらにその懸念を強くしていました。
が…なんというかこれは、長い一篇の詩のような映画、とでも言えばいいでしょうか。とても美しい物語でした。
実在の人物・堀越二郎をモチーフにしたフィクションということで、優れた才能を持つ技術者とその恋人が、政治や戦争に翻弄されていく物語を予想していました。ある意味でそれは正しかったのですが、その経緯や苦悩を描いた物語ではなく、堀越二郎の夢と、それを実現していく「想い」の物語でした。航空機開発のいきさつは抽象的にしか表現されておらず、中盤まではちょっと物足りなく感じましたが、終盤には「この映画にはこの描き方で良かったのだ」と思えました。画竜点睛を欠いていたとすれば、やはり堀越二郎の配役でしょうか…。
「飛行機は、美しい夢だ。設計家は、夢に形を与えるのだ」
夢の中で二郎に啓示を与える、イタリアの航空機設計者ジャンニ・カプローニの言葉です。
私は昔から、ものに形を与える仕事をする人に強い憧れと敬意を抱いていて、それが自分自身がエンジニアを目指した原動力でもあっただけに、この言葉には強い共感をおぼえました。
十代の自分だったらその「美しい夢」に全力で自己肯定の気分を与えられていただろうし、二十代の自分だったら「そんなのきれいごとだよ、実際のものづくりは…」と斜めに見てしまっただろうけど、三十代も半ばを過ぎた今の自分には、この映画を通じて宮崎駿が表現したかったものが、なんとなくわかる気がします。
「ものをつくる」という仕事は、きれいごとではなくて、いろいろな事情やしがらみとは無縁ではいられない。作り手の意思と、世の中のあらゆるものごととの交差するポイントでものを作ることで、初めて世に受け入れられるものが生まれる。独りの意思だけではものを作り続けられないからこそ、作り手は悩み、苦しむ。でもそういうしがらみを血肉とし、あらゆるものごとを超えた先に、それでも「美しい夢」を持ち続けたやつだけが、最終的に夢を叶える権利を与えられる。「ものをつくる仕事」とは、そういうものだと思うのです。
おそらく、そういう時間を経てきた宮崎監督だからこそ、「ものをつくる生き方」をこういう形で表現したのではないでしょうか。様々なしがらみや世の中の変化をふまえながら、名作と言われるアニメーションを作り続けてきた宮崎監督だから、今、監督自身が最も美しいと信じるものの美しい部分だけを、最も美しいと思われる手法で表現し、人々に伝えたかったのだと思います。劇中で菜穂子が、愛する人に自分が最も美しい状態だけを見せて、そして去って行ったように。きっとカプローニは現在の宮崎監督自身であり、二郎は過去の宮崎駿であり、現代の若き作り手なのでしょう。
鈴木敏夫プロデューサーは本作を「宮崎駿の遺言」と言っていますが、私は、この映画が実際に宮崎監督の遺作になっても、きっと驚かないでしょう。劇場公開中にあと二度三度観に行ってもいい、名作に仕上がっていると思います。
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