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松重豊『空洞のなかみ』

ドラマ『孤独のグルメ』を通じて私がすっかりファンになってしまった俳優・松重豊さんの初の著書が発売されました。私は当然、発売日に購入。

松重豊 / 空洞のなかみ

空洞のなかみ

アナログレコードやフィルムカメラを愛する松重さんのことだから電子書籍ではなく紙の書籍しか出さないんだろうと思って書店で買ってきたわけですが、なんのことはない発売日から Kindle 版もリリースされているんですね。確かにそれもアナログメディアを愛しながら Spotify にプレイリストを公開する松重さんらしいと思えます。でも電子媒体派な私もこの本はなんだか紙の手触りとともに楽しみたい気がしていたので、これで良い。

本書は昨年 10 月からつい先日までサンデー毎日で連載されていたエッセイ「演者戯言(えんじゃのざれごと)」と、本書のために書き下ろされた短編小説集「愚者譫言(ぐしゃのうわごと)」の二部構成になっています。短編小説集のほうが前半に掲載されていますが、私は執筆された順に読みたいと思ってエッセイから拝読。

「演者戯言」は今やグルメドラマの第一人者となった松重さんらしく、俳優の仕事と食べ物にまつわるエピソードが中心になっていて『孤独のグルメ』に関係する話もちらほら出てきます。

空洞のなかみ

表紙イラストと本文中の挿絵はあべみちこ氏。内容的に松重さんが出したテーマに沿って描かれているようです。カレー好きとしては↑の感覚には同意しかありません。どことなく『孤独のグルメ』に出てくる食のこだわりに通じるものを感じます。

驚くのは松重さんの文章の巧さ。短いセンテンスで淡々と表現されているように見えて、その行間に感じさせるものが多い。くどくど説明的に書いてしまいがちな私には逆立ちしてもできない表現で妬ましくさえあります。特に凄味を感じたのがこのくだり。これ、何のことを表現しているか解りますか?

 熱せられた鍋に彼が踊る場面から歌劇「スキヤキ」の幕は上がる。主役やヒロインが大暴れしている間も鍋底で舞台を支え淡泊な演技をする野菜たちに旨味を纏わせる。
 終盤は劇に溶け込み、カーテンコールで観客に彼の姿は見えない。

これ、すき焼きに使われる牛脂を役者に例えた表現なんですよ。売れっ子の小説家でも牛脂をこう表現できる人はそうはいないだろうし、『孤独のグルメ』の久住先生とも異なる方向性。小難しさの欠片もないのに深みがある。FM ヨコハマのラジオ番組「深夜の音楽食堂」でのトークを聞いているときと同じ感覚。

そして短編小説集「愚者譫言」。

ある映画の収録中、難しくないはずの台詞が本番になると何度やり直しても出てこなくなったある俳優がそれをきっかけに廃業を考え始めます。京都の撮影所の隣にあった古寺(広隆寺)で見た弥勒菩薩像に心奪われ、その木像のなかみが空洞であるという話を聞いた瞬間から彼はそのことと俳優という仕事のありようを重ね、自分の仕事が解らなくなっていきます。
それ以降どの現場に行っても本番が始まるまで(あるいは始まっても)自分が何の役をやっていて、何の台詞を言わなければならないのか解らないまま役者を続けていくわけです。その仕事の一つ一つがショート・ショートとなっていて、各話のオチが「自分がやっていた役が何だったか」。ショート・ショートらしいシニカルな展開が多いのは、いつも自分を語るときにちょっと自虐的になりがちな松重さんらしいと言えます。個人的には、以下のくだりは松重さん自身が井之頭五郎を演じる際に掲げているポリシーについて言っているのだろうと思いました。

独りのシークエンスも必要だが、他者との関係があってこその孤独なのだ。

『孤独のグルメ』の大ヒットでインタビューを受ける機会も激増した松重さんが自身の役者観について訊かれると必ず仰っているのが「自分自身は空っぽな存在で、もらった役を自分の中に入れて演じるだけ」ということ。『空洞のなかみ』というタイトルはまさにその「空っぽ」そのものを指したものだろうし、この短編小説は松重豊という俳優に起こり得た一つの可能性について描いたものではないかと思うのです。

なお、本著のプロモーションの一環として、ご自身の YouTube チャンネルにて短編小説を週に一本ずつ音楽つきで自ら朗読するという企画が展開されています。

この朗読劇が収録された場所はおそらくエッセイにも登場する経堂の Food&Bar Analog でしょう。松重さんがマスターの格好をしてカウンター内に立ち、ラジオにもゲスト出演したミュージシャンたちの音楽をバックに朗読する様子はまさにリアル「深夜の音楽食堂」。松重さん自身を主役に当て書きしたような小説だけに、読んだ後に改めてこの朗読を聞くと更に深みが増しますね。そしてさらにこの物語をベースに、松重さん主役で 10~15 分程度のショートドラマを 1 クールやってほしい気にもなってきます。

小説とエッセイの内容はお互いに深くリンクしていて、エッセイを読んだ後に小説を読むとどういうバックグラウンドで出てきた物語なのか想像がつくし、逆に小説の後にエッセイを読むとメイキングを見ているような気分に浸れます。

本著の小説パートは COVID-19 に伴う自宅待機期間を利用して執筆されたとのことですが、役者の手慰みとは思えない内容でもっと読みたくなりました。今や売れっ子になってしまったから役者以外の仕事に手を広げるのは難しいかもしれませんが、機会があれば別の作品もぜひ書いていただきたいところです。

コメント

  1. sk より:

    おととい10/24 10時~のFM横浜FUTURE SCAPEにも松重さん出られていましたよ
    もしご興味があればradikoのタイムフリー機能でぜひとも・・・

    • B より:

      ありがとうございます!
      はい、当日 radiko で拝聴しました。小山薫堂さんとのトークが豪華でしたね。内容への理解が深まった気がします。

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