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熱田護写真展「500GP フォーミュラ 1 の記憶」&トークショー w/佐藤琢磨

昨日、品川のキヤノン S タワーで開催されているレースフォトグラファー熱田護氏の写真展「500GP フォーミュラ 1 の記憶」を見に行ってきました。

キヤノン:熱田護写真展「500GP フォーミュラ1の記憶」を開催 | キヤノンマーケティングジャパングループ企業情報

写真展もさることながら、今回の目当ての一つは熱田護氏ご本人のトークショー。しかも特別ゲストに元 F1・現インディカードライバーの佐藤琢磨氏が登壇というじゃないですか!F1 時代からずっと応援し続けているドライバーが来るとあっては行くしかありません。
トークショーは原則撮影・録音禁止ながら、冒頭の二分間限定でフォトセッションの時間が設けられました。望遠レンズ持って行ってて良かった。

トークの内容は熱田氏が撮影した F1 時代の佐藤琢磨の写真を眺めながら、それに二人でコメントしていくというスタイル。かなり際どい話が多くてここには書けないことばかりですが、ジョーダン・無限ホンダから F1 デビューすることになった経緯や B・A・R ホンダへの参加、ワークス離脱~SAF1 設立のもろもろ、そして SAF1 消滅後に F1 残留を懸けて挑戦したトロロッソのトライアウト、F1 時代の他チームやドライバーとの関係…などめちゃくちゃ濃い話ばかり。琢磨自身がほぼ全ての写真に対して「この話には続きがあって…」と喋りが止まらないものだから、当初 90 分の予定だったトークショーがなんと 150 分に延びてしまいました(笑。ホント、ここに書けないのがもったいないくらい面白かったです。

それにしてもこの二人、いい歳したおっさん同士なのにお互いを「たっくん」「まもちゃん」呼びなの、かわいすぎか(笑

写真展の本会場がこちら。熱田氏は 1991 年から F1 の取材を開始し、1992 年以降は全戦に帯同して撮影し合計 500 戦を超えたことが写真展のタイトルの由来になっています。

1992 年といえば私もまさにセナとマクラーレン・ホンダに熱狂していた時代(このシーズンをもってホンダは第二期 F1 参戦を終了)。当時の自分はまだ中学生だったので、それから現代まで全てのレースを取材しているという鉄人ぶりには驚くばかりです。あれから今に至るまで、私が雑誌や Web サイトで目にしていた F1 関連写真には熱田氏の手によるものが多く含まれていたということなんだよなあ。

会場内には多数の写真が展示されていましたが、来場者は五枚まで写真撮影が許可されているのでちょっとだけ撮ってきました。

まずはモノクロのアイルトン・セナ。このヘルメット(ホンダロゴがない)は 1993 年のマクラーレン・フォード時代のものでしょう。
このヘルメットの奥に光る、どこか物悲しそうにも見える瞳。この表情がセナの魅力の一つでもあります。

皇帝ミハエル・シューマッハー。何気なく崩した姿勢でリラックスしているだけなのに、どうしてこんなに画になるのか。

ミハエルは 2013 年末のスキー事故で重傷を負って以降公の場に姿を見せておらず、容態について公式発表もないまま。あれだけの記録を打ち立てた偉大なドライバーとしては厳しすぎる晩年ですが、少しでも回復して穏やかな生活が送れることを願っています。

2006 年のスーパーアグリ・SA05。チーム発足の経緯もあり旧アロウズの 2002 年仕様車を改造した急ごしらえのマシンでした。シーズン途中から投入された SA06 も同じモノコックを流用して開発されたものでパフォーマンス的には望むべくもありませんでしたが、なんだかんだいって F1 時代の佐藤琢磨を私が最も熱く応援していたのはこの 2006 年だったなあ。この潔ささえ感じる白赤のカラーリングも本当に美しかった。

翌年はマシンの戦闘力が上がり前半戦では本家ホンダ F1 よりも好成績を残してしまったことが、2008 年に SAF1 がホンダからのサポートを相対的に受けられなくなるきっかけになるとは、誰が予想したでしょうか。

小林可夢偉。トヨタの撤退を受けてザウバー→ケータハムというキャリアを選んだ彼ですが、日本人 F1 ドライバーとしてはおそらく史上最も才能があったのではないかと私は思っています。それくらい鈴鹿のヘアピンでのオーバーテイク・ショーは見応えがあった。日本メーカー不在の F1 で私がチャンピオン争い以上に熱中していたのは可夢偉の活躍でした。

しかしスポンサーマネーが物を言う F1 ムラにおいて、企業の後ろ盾がない日本人が生き残っていくことの厳しさを身をもって示してくれたのも可夢偉だと思います。本当に、一度でもトップチームのシートを得られていたら。

夕焼けと F1 マシン。こういう写真好きです。クルマは NA エンジン最終年、2013 年のメルセデスですかね。

私もサーキットに行って撮影するのは大好きですが、観客席からだとどうしても写真がワンパターンになりがち。こうやって写真の幅が広いプロ写真家を羨ましく感じると同時に、二度と撮れない一瞬を確実に捉え続けるスキルもすごいなあ…と素直に尊敬します。

会場外にはアライの提供で実際に使用されたヘルメットが多数展示されていました。
上段左からボッタス(ウィリアムズ時代)、小林可夢偉、片山右京、セルジオ・ペレス(マクラーレン時代)、下段左からジャン・アレジ(ベネトン時代)、ヴェッテル、アロンソ、バトン、マックス・フェルスタッペンと思われます。

一時期は多くの F1 ドライバーがアライのメットを着用していたのが、近年は BELL の採用率が高まりアライはシェアを落としているのがちょっと寂しいところ。

頭頂部にタイガーが描かれたコイツは、マックス・フェルスタッペンのヘルメット。近年のトレンドであるマット塗装はロゴが映えますね。

ホンダロゴのないこのデザインはレッドブル・タグホイヤー(ルノー)だった昨年のもの。今年のマックスは Schuberth 製ヘルメットに乗り換えたので、残念ながらアライ×ホンダという日本製タッグではなくなってしまいました。

そしてこちらはディフェンディングチャンピオンであるルイス・ハミルトンのヘルメット。
アイルトン・セナの大ファンでもあるハミルトンはデビュー以来 2017 年頃まではセナを意識した黄色ベースのヘルメットを被っていました。このヘルメットはマクラーレン時代のものなので、彼のキャリア初期のものですね。
昨年くらいから赤基調のデザインに変わってしまったので、このデザインも随分懐かしい感じがします。

ユニオンジャックをモチーフにしたこのデザインは…懐かしい、ナイジェル・マンセルのヘルメット。
額に描かれた Canon ロゴが懐かしい。1985~1993 年(セナ加入前年)のウィリアムズは車体に大きく Canon ロゴを掲げていて、私が最初の一眼レフとして EOS を選んだ遠因はここにあると言っても過言ではありません。そのロゴをキヤノンのお膝元で見られるとは、感慨深いものがあります。

この写真展は来年 2/8(土)まで開催中。日本中が F1 に熱狂していた時代から現代までを網羅した写真展、ファンならば一度行っておいて損はしません。また写真集『500GP』(こちらは写真展とは写真のチョイスが異なるらしい)も発売中です。

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