六本木の国立新美術館で開催中の「アンドレアス・グルスキー展」を見に行ってきました。
ANDREAS GURSKY | アンドレアス・グルスキー展 | 東京展 : 2013.07.03-09.16 / 国立新美術館 | 大阪展 : 2014.02.01-05.11 / 国立国際美術館
写真好きの間で話題になっている写真展です。先に見に行った人が口を揃えて「良かった」と言っていたので、早く見に行きたいと思っていました。
展示されている写真は全部で 65 点。大小さまざまですが、半分くらいは人間の背丈よりも大きいくらいの巨大なプリントで、見る物を圧倒する迫力があります。
写真のほとんどはおそらく中判カメラで撮ったもの。そりゃあこれだけのサイズに引き伸ばしても十分堪えるだけの解像度はあるわけですが、グルスキーの写真のすごいところは、デジタル加工を前提とした撮り方をしているものが多いことと、見る側の寄り引きで全く違う見え方になるところではないでしょうか。複数台のカメラで撮った(またはカメラ位置を変えながら複数回シャッターを切った)写真を合成したり、レンズ補正加工をかけたりすることで、本来撮れない位置から望遠レンズで狙ったかのような、パースがなくパンフォーカスな写真が非常に多いこと。そして、引いて見ると抽象画のようなのに、至近距離まで近づいて見ると、実にリアリティのあるディテールが表現されています。まるで、自分の普段の目線で見えていることが、より引いた視点で見ると全く逆の事象になっている…という、実際の人間の「世界に対する認識」を暗喩しているのではないか、とさえ感じます。
この「まず引いて見る、それからグッと寄って見る」という写真の見方は、最近のデジタル写真の見方に近い感覚があります。または、Google マップの航空写真モードで世界地図から詳細地図にズームアップしていく感覚というか。印刷物に対して近づいたり離れたりを繰り返しながら、この写真が持っている世界観を自分なりに噛み砕いていく、という作業には、とても新鮮な驚きがありました。最近は、とかくスマートフォンの画面で写真を一瞥するだけでその写真を「解った気になる」ことが多いし、撮り手も Facebook 等の画面に最適化してパッと見の印象を強めた写真の作り方をしがち。あるいは、デジタル写真をすぐに拡大してピクセル等倍でチェックし、「写真」ではなく「画像」として見てしまうことも多かったりします。そうではなくて、撮るときも見るときにも、もっと一枚一枚の写真を大事にしなくてはいけないな、と思わされました。
また最近では、写真の話をするときにとかくデジタル加工の是非の議論になりがちだと思います。それはそれだけ加工が簡単になったということでもあるでしょうし、あくまで写実的に、状況を待ったり自分で作り込んだりして撮っている人からすれば「ずるい」と感じる、ということもあるでしょう。が、グルスキーの作品を見ると、そういう議論は別にどっちでもいいことではないか、という気持ちになってきます。「写真」は、”Photograph” という外来語を日本語に置き換えるときに、「真実を写す」と訳してしまっただけのことで、本来は…特に写真美術的な視点で言えば、”Photograph” とは「光を使ったアート」なのだと。グルスキーがチャオプラヤ川の水面を捉えた一連の作品『バンコク』シリーズを見ると、まるで水面に反射した光と影が、キャンバスに筆で描かれた抽象画のようなタッチで見えてきます。
今まで、自分の写真には持っていなかった視点。そして、自分にとって「写真」とは何か。深く考えさせられる、非常にインパクトの強い写真展でした。
まあ、そんなに深く考えなくても、カミオカンデ内部の神々しささえ感じる幾何学模様とか、群衆となったときの人間のパワーとか、そういうのに圧倒されに行くだけでも価値があると思います。また、レースやスポーツに縁のある写真も何点かあるので(F1 ではバーレーンのサクヒールサーキット、モナコ GP、中国 GP でのホンダとトヨタのピット作業シーン、あとツール・ド・フランスのコース等)、レースファンはその迫力を体感しに行く、というのでもいいかも。作品自体は Web でもある程度見られるし、会場では図録も売られていますが、これは大判プリントで見てこそその神髄が感じられるもの。写真好きならば、一度は目に焼きつけておいて損はないと思います。
コメント
アンドレアス・グルスキー展 見てきました
Bさんが見てきた方がいいよ!オーラをブログで発していたアンドレアス・グルスキー展を、国立新美術館に見に行きました。
六本木から炎天下の中…