『駆けてきた少女』がどうにも不完全燃焼な終わり方だったので、関連作品である本作も読んでみました。とはいえまだ電子化されておらず、一方で紙版は絶版状態だったので、図書館で借りて読了。
本作の主人公は『駆けてきた少女』にちょっとだけ登場した、少女の同級生である松井省吾という少年。ススキノのホステスを恋人に持つ、頭のいい・だけど世の中をどこか斜めに見たところのある高校三年生です。受験生、それもまだ未成年でありながらススキノで飲み歩く日常…というのはやや現実離れしていますが、そこは創作の世界。この少年の視点で『駆けてきた少女』の事件の反対側の側面を描く、ススキノ探偵シリーズの派生とも言える作品になっています。
この松井省吾君のキャラクター設定が、どこか若い頃の「俺」そのもの。作者が同じだからバックグラウンドが似てしまうのは仕方ないですが、どちらかというと「俺」が四十路半ばのおっさんになってしまったが故に、二十代の頃の「俺」的なキャラクターとして社会の不条理に対峙させたかったんじゃないかなあ、という気がします。「俺」の若い頃と違う点と言えば、「俺」ほど酒に強くないところ(それでも高校生としてはかなり酒に強いほうだ)、「俺」よりもさらにひねくれた視点をもっているところ、それに「俺」と同じようにハッタリをかますくせに喧嘩はからきし弱いというところ。まさに「ハーフボイルド」なのが、大人の目線から見ると危なっかしくもあり、それが本作におけるスリルを生み出しています。
事件の顛末は『駆けてきた少女』で知っているので、では『駆けてきた少女』で省略されてしまった物語の経緯のほうに焦点が移るわけです。黒幕は『駆けてきた少女』にも登場した女子高生・柏木であることは間違いないんですが、ラストのどんでん返しはハッキリ言って予想外。事件のカギを誰が握っていたか、が最後の最後で明らかになり、その可能性は完全に見落としてたわー!と推理小説好きとしては負けた気分です(´・ω・`)。ススキノ探偵シリーズにしてもそうですが、完全に一人称で語られる物語のカラクリに嵌まった格好になりました。一人称視点と言えば、ススキノ探偵シリーズで表現される「俺」と客観的に見られる「便利屋」でこうも印象が変わるのか、というのはなかなか新鮮な体験でしたね。だからこそ、完全に松井省吾視点で語られるこの物語には、それ故の見落としがある…ということに、途中で気がつくべきでした。
両作を読んで感じたのは、北海道警察と北海道日報の腐敗事件(物語の中の話です)は、社会の構造悪であり、個人がどうこう足掻いたところで大勢に影響を与えることはできない、という東直己氏自身の諦観と、それ自体に対する憤りが噴出した作品である、ということです。話は面白いんだけど、オチが自分の手の届かないところで(あるいは、誰かの掌の上で)勝手に完結してしまっているので、結果的に作者の愚痴に付き合わされている感があります。もうちょっと物語としてまとめてほしかったよなあ…とは思いますが、これも社会悪に対する怒りの発露の一つの形なんでしょうね。
ま、私は私で懲りずにこのまま三部作の最後の一つも読んじゃうんですけどね(ぉ。
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