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ウェブ進化論/ウェブ時代をゆく

ワーたんが繰り返し勧めるので、読んでみました。

梅田 望夫 / ウェブ進化論 ――本当の大変化はこれから始まる

梅田 望夫 / ウェブ時代をゆく ――いかに働き、いかに学ぶか

正直言って、この本(『ウェブ進化論』のほう)は、当時流行っていた「Web 2.0 本」の類だろうと思って食わず嫌いしてました。どうせ Google とか Ajax とかの事例を並べて持ち上げた本だろうと。でも、実際は書き手なりの真摯な想いの込められた良書だと想います。

連作っぽくなっていますが、『ウェブ進化論』は 2006 年当時の Web の世界の状況を、単なるテクノロジーとかビジネスチャンス切り口ではなく、その先端を生きる人の観点でまとめた技術・企業論。『ウェブ時代をゆく』は、前作を受けてそんな時代を「個性」として生きる生き方を説いた職業・人生論。ベースは共通ながら、論調は大きく違います。

内容としては Google のビジネスモデルやインターネット的な企業姿勢を大きくフィーチャーしていますが、読み方によっては最近流行りの「Google 礼賛」と取れなくもないのがちょっと残念なところ。まあ、信じるネットの未来を「インターネット神」という絶対的なものとして捉えるか、インターネット自体を「そこに繋がる人々の思惟の集合体」と捉えて「インターネットの意志=人類の総体的/潜在的な意志」として考えるか、という立場の違いだけという気もしますが。Google も企業である以上、そして巨大な組織になってしまった以上、少なくとも創業者が去った後の企業姿勢は保証されていないはずです。
まあ、Google の未来はさておき、私もインターネットとの出会いによって人生を大きく変えられたクチなので、そのインターネット(特に Web 2.0 以後の)が掲げる「オープン化」と「マス・コラボレーション」の波はきっと今以上に大きなうねりとなってリアルの世界をも巻き込み、その先にある「集合知」が全ての人々にとっての福音になる、と信じています。そういう意味では、根本的な部分でおそらく私は梅田望夫氏に近い価値観を持っているのだと思います。私自身、大学生から社会人になるまでの時間をインターネットの成長と共にしてきたので、『ウェブ進化論』の内容はあらかじめ知っていたことのほうが多かったですが、『ウェブ時代をゆく』の考え方には共感するところが多くありました。


この 2 冊の書物で書かれている「Web の進化」というのは、究極の形を考えるとそれはある種「人類の種としての進化」を意味するのではないかと思います。こういうことを言うと何だか宗教じみてますが、個々の人間の知がそれぞれ一つのシナプスとなって互いに結合し、全体として大きな「知性」というべき集合知を形成する、というのが、「Web の進化」の究極の到達点なのではないかと。
私もネットに繋がったこの十数年の間に、こうやって何人もの人と知を共有するだけでなく、心を通わせられたと感じることが何度もありました。それはまるで脳味噌にケーブルを挿して直接ネットに接続する感覚、あるいは精神が肉体を離れてネットの海の中を泳ぎ回る感覚に近い。極論すると、「Web の進化」とはヒトの革新にも繋がっていく話ではないかと考えています。

ちょっと話が大きく飛躍したので、元に戻します。

でも、こういう想像が生まれ、『ウェブ進化論』がもてはやされた理由は、インターネットの魅力に取り憑かれた人々が、オプティミスティックにその可能性を信じ、そのような未来が訪れる「願望」を抱いたからだろうと思います。生まれつきの境遇など何も関係なく平等なスタートラインに立ち、その気さえあれば自分で自分をどんどん高めていくことができる。先入観や政治的なしがらみを離れて対等なコミュニケーションができる。
現実の社会に当てはめてみると、そういう願望は資本主義経済の原理や企業の体面や「モラル」といったある種脊髄反射的な防衛本能によって却下、もしくは否定されるのが現代の(少なくとも日本的社会の)壁ではありますが、インターネットの可能性はそれすら超えられるんじゃないかというオプティミズムを、それを信じる者に与えてくれる気がします。

転職して今の仕事に就くことを決めたときから、この仕事には(正直、やり甲斐を感じてはいるものの)おそらく骨を埋めることはないんだろうな、自分の区切りがつくところまでやったらネット上の「形のないもの」をつくる仕事、もしくは社内にそういう役割があればそこに移るんじゃないかな、ということを頭の片隅で考え続けています。でも、だからこそ、ネットの「あちら側」(この blog で表現する上では「こちら側」なのだろうけど、『ウェブ進化論』と表現を合わせてあえて「あちら側」)と「こちら側」(同じく、ここから見れば「あちら側」)の距離を縮めることが、今の仕事における自分のミッションだと思っています。そうしなければ、旧世代の企業はおそらく、Web 2.0 の先に来るべき時代を受け止めることができないだろうから。
ただ、それはものすごく骨の折れる作業で、自分の気持ちさえあればどんどん独りで先に進んでいくことができる「あちら側」に、ともすると逃げ込みたくなります。でも、仕事を離れてでも私に共感し、力を合わせようとしてくれる人が近くに一人でもいる限り、諦めずにやってやろう、と思えるのも、その同志がおそらくネットの可能性をオプティミスティックに信じているからなんじゃないかと思います。

組織だって人が作るもの。あまりそれに縛られずに、自分が正しいと信じることをやっていけば、(管理職の見る目が間違っていなければ)組織は後からついてくる。私も諦めずにやってみようと思います。

コメント

  1. あら、意外と読んどらんかったんね。

    >「Web の進化」とはヒトの革新にも繋がっていく話ではないかと考えています。

    > 旧世代の企業はおそらく、Web 2.0 の先に来るべき時代を受け止めることができないだろうから。

    この辺、あっちとこっちの断絶が懸念されるので、確かに架け橋的な人々が必要なのかもですね。
    BRidge Or betWeeN ?

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