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小説『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』

劇場版を観た勢いで小説まで手を出してしまいました。

暁佳奈 / ヴァイオレット・エヴァーガーデン

Netflix でテレビシリーズをイッキ観したときから原作小説の存在は気になっていました。が、Amazon では正規取り扱いしておらず定価より高い転売商品ばかりだし、リアル書店で販売している店舗も限られるということで手が出ずにいたところ、映画館の物販コーナーで上下巻と外伝まで販売されていたのを見つけて衝動買い。最終巻にあたる「エバー・アフター」だけ書店で購入しました。なお書店は京アニ公式が紹介している販売店をいくつか巡ってみたところ全滅でしたが、掲載されていなかった有隣堂で在庫を発見、確保しました(今在庫検索してみたところ、有隣堂も切らし始めているようです)。

劇場版を観た後に 4 冊を一気にガーッと読み切りました。アニメ版とは以下の差分があるんですね。

  • アニメ版は基本的に時系列に沿ってストーリーが展開していたのに対して、小説版は時間軸が一定ではない
  • 個々のエピソードはアニメと小説でほぼ同一だが、物語の大筋では結末が大きく異なる
  • アニメ版は半分近くがオリジナルエピソード
  • アニメ版に登場した C.H. 郵便社の同僚・エリカやアイリスは登場せず、代わりにラックスという少女が準レギュラーとして登場する
  • 原作・アニメ両方に登場するキャラクターも一部設定や性格が変更されている(特にカトレアとベネディクト)
  • アニメ版と比べて回想・現在ともに戦闘シーンがかなり多い

中盤以降のストーリーが小説とアニメで大きく異なるため両者の関係はパラレルワールド的ではありますが、基本的な設定や世界観、それにヴァイオレットと主要キャラの性格が共通なので相互補完的な感覚で読めます。特に心理面の描写はさすがに小説版の方が詳細ですね。一方で、アニメ版はキャラクターの心理をちょっとした仕草や表情で感じさせるあたりがさすが京アニ…とも感じます。
また劇場版を観たときに「テレビシリーズのヴァイオレットはあくまで狂言回しで各エピソードのクライアントが主人公の話。対して劇場版はヴァイオレット視点での話」というようなことを書きましたが、小説版のヴァイオレットはさらに徹頭徹尾第三者視点で描かれており、序盤は特にミステリアス。これに比べるとアニメ版は「ヴァイオレットという人間の成長」という明確な軸をもって構成されていたことが改めて解ります。どちらの構成の方が良いという話ではなく、尺を気にせず深掘りできる小説と、正味 20 分×13 話というフォーマットの中で全体のテーマを描かなくてはならないテレビアニメという違いに起因するものだとは思いますが、ここまで思い切った構成とシナリオ変更を経ても原作より劣化した印象を受けないアニメ版の出来の良さを感じます。

各巻個別の感想も少し書いておきます。

■上巻
小説での登場順に #7、#10、#11、#6 がアニメとほぼ共通のエピソード。アニメでは随一の映像美だった #7(戯曲家オスカーのエピソード)がいきなり第 1 話に登場しているのに驚きました。そして #10 に相当する「少女と自動手記人形」(マグノリア家の母娘のエピソード)はテレビシリーズでは一番泣けた話で劇場版アニメとも深く関連する内容なだけに、これをじっくり読めたのは良かった。

またアニメ版では回想シーンとして軽く触れられる程度だったヴァイオレットとギルベルトの過去編もガッツリ描かれています。このエピソードを読むことで、アニメ版ではあまり感じられなかったヴァイオレットとギルベルトの類似点、二人ともに自由を許されずに与えられた役割をこなすだけの人生を送ってきた過去を知ることができます。アニメでは何故ギルベルトがヴァイオレットを少女兵として扱うことができたのか(いくら戦時下とはいえ通常ならば良心の呵責に耐えられないと思う)がどうしても理解できなかったのですが、ギルベルトの生い立ちを知ればある程度納得できます。

■下巻
意外なことに、テレビシリーズと共通のエピソードは無し。#12・#13 の題材となった大陸縦断鉄道襲撃事件をモチーフとしたエピソードが存在するくらいです。それもそのはず、この下巻ではギルベルトの生死にまつわる設定がアニメ版とは大きく異なっています。
個人的には「半神と自動手記人形」「花婿と自動手記人形」の二つのエピソードが心に残りました。どちらもアニメ化はされていませんが、「半神~」は宗教絡みだったりヴァイオレットが一方的に蹂躙するような戦闘シーンがあったり、アニメで表現するには微妙な内容ではあります。またこのエピソードから登場するラックス・シビュラはアニメの構成にはまらないため登場させるのが難しかったのかもしれませんが、キャラクターとしてとても味があるからアニメで見てみたかったところ。

ギルベルトとその兄ディートフリートの扱いは小説とアニメでは全くと言って良いほど異なりますが、少なくともギルベルトのキャラはアニメ版よりも小説版の方が断然カッコイイですね。再登場の仕方があまりにも荒唐無稽だけど、外連味があって逆に良い。どことなく『鋼の錬金術師』のマスタング大佐に通ずるものを感じます。アニメ版のギルベルトはガンダム UC のリディ少尉の位置づけだからなあ(笑

■外伝
劇場版アニメとして製作された「外伝」に相当するエピソード「永遠と自動手記人形」と BD/DVD に収録、および Netflix で配信されている Extra Episode に相当する「王女と自動手記人形」ほかを収録。

「永遠と自動手記人形」に関しては、小説では基本的にイザベラのエピソードに限定されていて、アニメ版「外伝」の後半に登場したテイラー編はアニメオリジナルだったことが判りました。アニメ版「外伝」はイザベラとテイラーの物語が対になる構成がとても良かっただけに、個人的にはアニメ版の方が好き。もっと言えば劇場版(完結編)より外伝のほうが好きなくらいです。それくらいアニメ版の構成と脚本が原作に負けず劣らず良いということでしょう。

また外伝というだけあって、ヴァイオレット以外の三人(ホッジンズ、ベネディクト、カトレア)を主人公としたエピソードもあり。断定はされていませんがベネディクトとヴァイオレットの出自を示唆するような描写もあって、世界観をより深めてくれます。

■エバー・アフター
小説は本編としては上下巻でいったん完結ということになっていますが、外伝とこの「エバー・アフター」はそれぞれ前日譚・後日譚として描かれています。ギルベルトにまつわる展開がアニメ版と大きく異なることもあり、ここまで来るとアニメ版とは全くリンクしない内容になっています。

個人的に良かったのは「薔薇と自動手記人形」「夢追い人と自動手記人形」の二つ。これらのエピソードの主人公はヴァイオレットのクライアントではなく、彼女が出張先で出会っただけの人物であり、ここでは手紙は直接出てきません。しかし孤児から「何者か」になったヴァイオレットに大きな影響を受け、自分の居るべき場所や成すべきことを見つけていく…というメッセージ性が良い。『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』というシリーズは「誰かが誰かに生きる意味をもらい、立ち上がっていく」というエピソードが多いですが、最終巻にしてそれを特に象徴するのがこの二話ではないでしょうか。

またこれらのエピソードの中ではここまであまり描かれてこなかった C.H. 郵便社の各キャラクター同士の日常の掛け合いを描いた「旅と自動手記人形」もほのぼのとしていて良い。劇場版の BD 特典などで映像化してほしいエピソードだと思います。

ということで、小説を読むことで作品に対する理解がより深まって良かった。小説を読んだ後に改めて Netflix でアニメを最初から見直したくなる良さがあります。アニメ的には劇場版から時間を遡る形で追加のエピソードを作ることも可能だろうけど、そういう蛇足的なことはやらないんだろうな…とも思います。無い物ねだりをしてもしょうがないので、とりあえずテレビシリーズと外伝をもう一周して、劇場版が上映している間にもう一度くらい映画館に足を運ぼうかと考えています。

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