「しかしパリと群馬高崎はエライ違いだな。俺にお似合いなのはこういうもんですよ」
『孤独のグルメ』聖地巡礼【原作版】。今回は、夏の帰省から東京に戻ってくる道中、高崎でわざわざ途中下車(笑。第 5 話「群馬県高崎市の焼きまんじゅう」の聖地を訪れてみました。
高崎って、いつも新幹線で通過するだけの場所。降りたことがあるのは一度だけ…17 年前、大学 1 年の夏休みに無謀にも田舎まで自転車で帰ろうと計画したものの、受験勉強で半年ほどまともに運動していなかったために体力が衰えていることを考慮していなかったことと、35℃ を超える真夏日のために高崎で挫折して、疲労困憊のなか空いていた古い旅館に泊まった、という思い出があるだけです。思い出、とはいっても、もう頭が朦朧としていてほとんど覚えていないんですが(´д`)。
ともあれ、17 年ぶりの高崎。ちょっと歩いてみますか。
第 5 話冒頭の 1 コマにある「中央銀座アーケード街」は今も健在。ただ、当時はどうだったか知りませんが、今は半ばシャッター街の様相を呈していて、ちょっと寂しい。
原作が執筆された 19 年前から流れた時間で、街並みもだいぶ変わってしまったのか、それ以外で当時の面影を残す場所は残念ながら見つけられませんでした。
でも、この焼きまんじゅう屋さんは健在。
原作での店名は「クリタ」ですが、実際の店名は「オリタ」。原作では「焼きそばクリタ」の看板が掛かっているのに焼きそばはやっていない、というエピソードがありましたが、現在ではもうかかっていないようです。この 19 年の間に店舗を三軒隣に引っ越したそうで、場所も建物も原作に登場したものとは別物とのこと。
店内はほんとうに狭くて、二人掛けのテーブルがひとつある程度。店内で食べる人はほとんどいないのか、「持ち帰りが標準」という雰囲気が漂っていたので、「中で食べられますか?」と言って店内に通してもらいました。
原作では、井之頭五郎が「あの焼きまんじゅう屋、というか、あのじいさん、どうなるのかなァこの先」というモノローグが差し込まれていましたが…さすがにあれから 19 年。お店は娘さんと思われる人に代替わりしていました。
数分待って、焼きまんじゅうのできあがり。当然、アンなし 1 本とアン入り 1 本の組み合わせです。
待っている間や食べている間にも、何人かのお客さんが持ち帰りで来店していました。数年前に『ちい散歩』でも取り上げられたことがあるようで、地元ではかなり有名なお店のようです。確かに原作でも「ミソが違う」というくだりがありましたね。
ほう…こりゃあうまそうだ。
ちなみに、ちょっと角張った四個組みのが「アンなし」、丸っこい二個組みのが「アンあり」。
ミソ…とはタレのことだろうか…。しかし、まんじゅうが「焼き鳥みたいでおいしい」とはどういうことなのだろう?
このたっぷりかかったタレ。濃厚でとろっとしていて、確かに「タレ」というより「ミソ」といったほうがしっくりくる感じ。
表面につけられたちょうど良い具合の焦げ目に、ミソが絡んで、期待も高まります。
まずはアンの入ってないほうから…。
思ったより軽くて淡泊なんだな。焼き鳥とは全然違うけど…甘い。
なんだか…素朴な味だなァ。
普通のまんじゅうとも、肉まんともちょっと違う、微妙にパンのようなふかっとした柔らかさともちっとした感触がミックスされたような、複雑な食感。それに、濃くて甘いミソが合わさって、普通のまんじゅうとは全然違うし、みたらし団子ともあやめ団子とも違う、不思議な甘さに包まれます。
さて…アン入りは…む。
これは思った通り…複雑な甘さだ。
いや…スゴい甘さと言ってもいい。
アンの日本的ストレートな甘さに、ミソの複雑な甘さが重なって、これは甘味が苦手な私にはけっこうきつい(笑)。井之頭五郎的に言えば「甘さが波状攻撃を仕掛けてくる」とでも言うのか。これは、アンなし一本で十分だったかも…。
ともかく、完食。これはちょっと、緑茶が欲しくなる味でしたね。
でも、二本で ¥330 というのは、異様に安いのではないでしょうか。
昭和 22 年の創業というから、今年で 66 年。味もスタイルもほとんど変えずにやってきているんだろうなあ。
19 年前の井之頭五郎が(というか、久住さんが)これとほとんど同じ味を口にしたのだと思うと、感慨深いものがあります。
上州のからっ風も、革ジャンも無縁の猛暑のなか、再び大汗をかきながら新幹線で東京に帰ります。
ごちそうさまでした。
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