ついタイトルに釣られて読んでしまいました。
朱野帰子 / 科学オタがマイナスイオンの部署に異動しました [Kindle]
もともとは『賢者の石、売ります』というタイトルで四年前に刊行された小説だったらしいのですが、文庫化にあたって今回のタイトルに改題されたとのこと。最近の異世界転生ものラノベっぽいタイトルですが、私はラノベ読まないけど元のタイトルのままだったらまず手に取っていなかったことでしょう。それくらい個人的には引きが強いタイトルでした。
「非科学的なものを何よりも嫌う科学オタの文系サラリーマンが、家電メーカーで似非科学系商品の企画部署に異動させられたら」というお話。内容を読むと商品企画といってもマーケティング職を兼ねる部署という設定らしく、私としてはイメージしやすい設定。主人公・賢児は科学的な正しさを求めるあまり非科学的なことを容易く信じてしまう他者を許せず、また見下してしまう性格の持ち主です。私は科学オタではありませんが、非論理的・非科学的なことが大嫌いで、若い頃には論理的には間違っていないけど配慮のない言葉遣いで人を怒らせてしまった記憶も一つや二つではなく(さすがに今はそういうことも少なくなったと自分では思っている)、この賢児のキャラクターは他人とは思えないものがあります。また私は似非科学商品を売るような仕事はさせられたことがないけど、自分の信念に背くようなやり方の仕事をする羽目になった経験も実際にあり、妙に共感しながら読んでしまいました。
本書のハードカバー版が発売された当時はまさに理化学研究所の STAP 細胞事件のさなかであり、物語もその事件の影響を強く受けています。科学を発展させる研究には資金が必要であり、その過程で成果を求めるあまり不正に手を染めてしまう科学者がいる事実。一方で、ビジネスの世界でも利益こそが正義であり、科学的な裏付けがなくとも顧客が幸せな嘘に騙されてくれるならそれで良し、とされる部分があるのもまた事実です。
マーケティングの世界では、難しい概念や機能を顧客に分かりやすく伝えるために省略や比喩を使うことはよくありますが、個人的には非科学的な物事を騙し討ちで売りつけるようなことは絶対に許せないという賢児の信念はよく解る。ただ、証明が難しいものに関して、顧客が価値を感じて対価を払うことの全てが否定されるべきものかどうか…は難しいところです。例えば水素水のようなものは非科学と断ずることができるけれど、プラシーボ効果を期待して処方される偽薬は悪とは言えないし、高級オーディオの価値はどこまで科学的に正当化されるか?購入者が満足していれば良いのではないか?というような話でもあります。また犯罪でない限りどんな経済活動でもそれに関わる人やその家族の生活がかかっているわけで、自分の信念に反するからといって即座にそれを悪として全否定できるものではありません。
ビジネスにおいて自分がやりたいことを実現するには、そういったことを含め清濁併せ呑む覚悟が必要です。
この物語はそういうことを、主人公が上司や同僚、ビジネスパートナーや顧客とのやりとりを通じて少しずつ学び、悩みながらも呑みこんだ上で自分の夢を実現していく…という話かと思ったら、実際は半分違っていました。むしろ似非科学を信じてしまう家族(母親と姉)との衝突の話の比率が高く、ビジネスで直接対峙する主な相手は上司と同僚、それに広告代理店の担当者の合計三人がメイン。そこはもっと仕事側の登場人物を増やした上で、自分とは違う信念に基づいて何かを実現しようとしている人々との衝突を経て「覚悟」を身につけていく話にすべきなんじゃないの?と感じました。が、本書のテーマは「自分の信念とは異なる仕事をすること」ではなく「科学と非科学、信念とお金」の話。父親の闘病や姉の出産~育児を通じた非科学との戦いという題材の方が多くの読者の共感を得られるのだろうし(実際私もいろいろと思い当たる節はある)、それはそれでアリ、という気はします。
ただ私が納得いかなかったのはラスト。賢児が自分の信念とは異なる似非科学の仕事にどう向き合い、具体的に何をしたか…についてはふんわりとしたまま唐突に物語がたたまれてしまった印象を受けました。ここまで科学的で論理的で信念のある主人公ならば、じゃあ具体的に何をいつまでにどうするのか、というのを少なくとも自分の中である程度決意するものじゃないのか。最後だけ急にキャラクターが変わってしまったようで、主人公に自分を重ねて読んでいた私としてはもにょる。プライベートでは科学の夢を追うのは分かったから、仕事の方はどうなったんだ!!!
…とまあ、最後の方はちょっと物足りなかったけど、科学ネタ的には小難しい話も特になかったし、数時間で一気に読めてしまうほど読みやすくて面白い小説でした。実現したい夢がありながらも仕事上で納得のいかないことを自分を押し殺しながらやり抜いた経験のある人ならば、何かしら共感できる作品だと思います。
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