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エンジニアが明かす F1 の世界

今シーズンからハース F1 のチーム代表に就任したエンジニア・小松礼雄氏の著書を読みました。

小松礼雄 / エンジニアが明かす F1 の世界

エンジニアが明かす F1 の世界

先日の日本グランプリ期間中に Kindle 版が半額になっていたタイミングを利用しました。日系チーム以外としては史上初の日本人チーム代表の凱旋レース記念だったと思われます。
小松さんがまだチーフレースエンジニアだった 2019 年に出版されたもので現在はテクニカル/スポーティングともにレギュレーションは大きく変わっていますが、基本的な考え方は今でも通用します。

各種インタビューを通じて感じる小松さんの人物像は日本人にしては珍しいほど弁別性が高く、とにかく合理性を重視してどんどん判断し行動していく人、という印象。個人的には一緒に働くならキッパリハッキリした人の方が付き合いやすいから自分とは合いそうだと感じる一方で、こちらのロジックに少しでも瑕疵があると瞬時に見透かされそうで怖いな、とも思います。でもそういうキャラクターだからこそ高校卒業とともに単身渡英してレースの世界に身を置き、F1 のチーム代表にまで辿り着けたのでしょう。

本書は「F1 の世界で(特に現場におけるレースチームの)エンジニアが何をしているか」について詳細に、しかし分かりやすくまとめられたものになっています。空力やタイヤのはたらきといった基本的な技術説明からレースウィークエンドの各セッションでチームが何をやっているか、決勝レースの戦略をどう決めているか…などレースエンジニア視点での F1 の全容を語っていると言って良い。比較的解りやすい言葉遣いで書かれていながらも読み応えがあります。

私としてはドライバーとエンジニアがレース週末にどうコミュニケーションしてどんな作業をしているかが現場のエンジニア視点で語られていてとても勉強になりました。一例を引用してみます:

たとえば、ドライバーはアンダーだと言っている。でも、データにはアンダーが出ていない。なぜかというと、ドライバーはこれ以上ステアリングを切ってもアンダーがひどくなるだけだから、切っていないのです。(中略)それなのにエンジニアが「アンダーなんて出ていないからアンダーを減らす必要はない」なんて言ったら、そこから先の進歩はありません。

チームラジオでドライバーとピットがステアリングの状況についてコミュニケーションしているときに「会話がかみ合ってないな?」と感じることがあるのですが、それは例えばこういうことなんですね。ドライバーの発言とデータの整合性を取ることの重要さが分かります。
それと同時にドライバーのコミュニケーション力とエンジニアとの相性も重要なようです。よくドライバーに関して「フィードバックが良い」とか「開発力がある」と評することありますが、具体的に「どこのセッティングをどう調整してほしいか」よりも症状をそのまま伝えたほうがエンジニアにとってはやりやすい場合もあるようです。確かにクルマのメカニズムを知悉しているのはエンジニアなわけで、ドライバーが要望した具体的な調整項目よりも適切なアプローチがある、ということも多そう。

ドライバーの特性に関しては当時のハース所属だったグロジャンとマグヌッセンの比較を中心に語られていますが、小松さんがかつて所属していたルノー/ロータスで一緒に働いていたアロンソやライコネンもよく引き合いに出されています。
アロンソのすごさは「金曜のセッションではクルマに注文をつけまくるけど、土曜以降はセットアップを受け入れてその範囲内で最大限速く走れるようにする」というセットアップ面の貢献とパフォーマンス面での貢献を両立できるところで、これができるドライバーはほとんどいないとか。逆にライコネンはリヤが決まって安心して走れるクルマだと滅茶苦茶速いけどセットアップを外すと速くない、というのは意外でした。ライコネン在籍時代のマクラーレンは「スウィートスポットは狭いけどハマると速い」というニューウェイデザインだったので、ライコネンにもそういうクルマを乗りこなせるイメージを持っていました。
そう考えると、同世代のチャンピオン経験者であるアロンソとライコネンは 2014 年に同じチーム(フェラーリ)で走っていたけどクルマ的な好みは大きく違っていたはずで、エンジニアは苦労したんじゃないかなあ。

クルマに関しても「安定しているクルマよりも不安定さを持ったクルマを操れるドライバーの方が速い」という話が印象的でした。ここでいう安定性は主にステアリングバランスの意味で、安定している=曲がりにくいということでもあり、オーバーステア気味のクルマを得意とするドライバーが速いというのは現役の F1 ドライバーを見渡しても納得感のある話。具体的にはオーバーステア傾向と言われるレッドブルに乗っているフェルスタッペンとペレスの差を見れば一目瞭然でしょう。

それからレース戦略に関して、今のチーム代表としての小松さんの働きを見た後でこのくだりを読むと説得力がすごい:

実際に何周目にピットインするかということよりも、レースで起こりうるさまざまな展開を想定して、いろいろと考えて自分の中で消化することです。(中略)レースをしている相手が、ある状況でこう動いたときに自分たちはどうするか、スタート直後に順位の変動が大きくあった場合はプランを変更すべきかなど、いろいろな状況を前もって考えます。実際のレース中は時間が限られるので、どれだけ良い準備ができているかで、レース中に正しい判断を瞬時に下させるかどうかが決まります。

今シーズンのハースが常に実践しているのはこれですよね。下位チームのポイント獲得が困難を極める今シーズンにおいてハースが 5 レース中 3 回(のべ 4 回)の入賞を果たしているのは、クルマの戦闘力以上に事前準備とレース中の判断力の賜物だと思います。逆に、去年まで(と今年の第 2 戦まで)のアルファタウリ/RB が全然ダメだったのがこの部分。今季は RB のストラテジストに新しい人が入ったようで、第 3 戦以降は劇的に改善していますが。

…という感じで、とにかく面白い一冊でした。小松さん的には一般の F1 ファンに向けてレースの技術的側面を解説することでより面白さを感じてもらおうというのが本書の狙いのようですが、古参ファンにとってもレース観戦の解像度を高めてくれる名著だと思います。

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