「『ダウンロード違法化』阻止、まだチャンスある」――MIAUがシンポジウム (ITmedia)
これ聴きに行きたかったんですが、どうしても都合がつかず Ustream で見させていただきました。
内容的には、最後の質疑応答を除けば各パネラーの blog 等で既に言及されている内容が多く、その場に集まるなら(ダウンロード違法化賛成派からの参加者がいなかったこともあり)もう少し突っ込んだ議論があっても良かったんじゃないかと思いましたが、それでも総体的な理解という意味では役立ったような気がします。
インターネット時代における著作権に関する議論という点では、登場人物が違うとはいえ少なくとも 3 年前の議論から何ら進展がないと言っても過言ではありません。ユーザー側での問題意識という意味で言うと、もっと遡って 1999 年頃からまともな進展が見られず、今年になってようやく iTunes Store が DRM なし配信をスタートしたのが初めての大きな一歩、と言って良いでしょう。
この件については何度かこの blog で書こうとしていたのですが、私自身が古くからのインターネットユーザーであり、この世界の可能性を信じている一人でもあるので、どうしても立場が偏りがち→仮に内容的には正しくてもネットユーザーのつまらない愚痴にしかならないと思い、筆が止まっていました。
そんなところで、言いたかったことを半歩退いた視点からだいたい言ってくれてしまったのが以下の記事。
「初音ミク作品」騒動から考える、「次の著作権のかたち」 (ITmedia)
今問題になっているのは表面的にはダビング 10 やダウンロード違法化の話ではあるけれど、本質的には「これからの時代の著作権をどうしていくか」という話だと思うんですよね。ただ、全くフラットな地点から考えていくには、いろんな問題――大量生産・大量消費から多様化へのパラダイムシフトとか、文化論とか、放送と通信の考え方とか、日本のコンテンツ産業の振興とか、政府と権利者団体の利害関係とか、今回の問題とは関係なしに不安定な政局の状況とか――を孕みすぎていて、なかなかシンプルな結論にはたどり着けないのだと思います。そもそもあなたたちの言う「文化」の定義って何?とか。
でも、日本がここで思考停止していても、技術や経済のバランスが導く世の中の流れというのは止めようもないことだけは事実。これからの時代に相応しい著作権のあり方を、少し長いスパンで捉えて考える時期なのだと思います。クリプトンとドワンゴの間で起きた問題も、たまたま今起きたのだとは考えにくい。
私ができることなんて微々たるものですが、それでもできるだけのことはやってみなくてはならん、と思います。
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