公開初日に観てきました。
私は世代的にウルトラマンも仮面ライダーもほぼ制作されていない時代だったのと、当時地元に TBS 系の放送局がなかったので特撮にはあまり接点がありません(スーパー戦隊シリーズくらいか)。…と思っていたのですが、本作を観たら幼少期に幼児向け雑誌(リアルタイムだったのか、歳の離れた従兄のお下がりだったのかも不明)に掲載されていたウルトラマンの特集を熟読して初代マンのストーリーや主要な怪獣はほぼ暗記していたことや、友人宅でビデオを何話か見せてもらった(ゼットンが出てきたのは憶えてる)記憶が走馬灯のように甦ってきました。ウルトラマンめっちゃ好きだったんじゃん俺…。というのを本作の制作チームの「ウルトラマン愛」を通じて思い出させてくれた映画でした。
以下、ネタバレを含むので未見の方はそっ閉じ推奨。
本作は初代『ウルトラマン』を当初の設定や制作陣の想いを汲み取りつつ、庵野秀明・樋口真嗣両氏のウルトラマン愛を練り込んでリブートした映画と言えます。舞台を現代日本に置き換え、大人の鑑賞にも堪える設定と脚本にしたことで『シン・ゴジラ』に世界観が近づいています。かと思えば『シン・ゴジラ』に登場したあの俳優が似たような役どころでキャスティングされており、世界観の繋がりがそれとなく示唆されているのは単なるファンサービスなのか、あるいは今後のマルチバース展開への伏線なのか。
怪獣を「禍威獣」と当てたのは当初ヘタな駄洒落かと思っていたのですが、禍威獣特設対策室=「禍特対」がシンゴジの巨災対の相似形でありつつオリジナルのウルトラマンの科学特捜隊=科特隊を当て変えていること、およびこの二年の病禍を経て「禍」という文字が持つ重みが変わったことなども考えるとなかなかに深い。こういう言葉遊び、私の大好物。
映画は冒頭から端折りまくっていきなりウルトラマン登場のくだりから。そこまでの経緯はほんの一瞬で片付けられるわけですが、ここは客層を考慮して「ウルトラ Q は履修済みですよね?」あるいは「シン・ゴジラ観たならだいたい想像できるよね?」という意図かと思われます。確かに、ウルトラマンが登場するまで人類がどう禍威獣と戦ってきたかはシン・ゴジラを想像しながら観るとまあ解りやすい。
地球の危機に登場したウルトラマンは特撮ではなく CG で表現されていて、造形や質感、佇まいまで実に美しい。でも単に美しいだけでなく物語を通じて「人間性」を身につけていくことで、最後には本当に「真実と正義と美の化身」と形容したくなる存在となっていきます。シン・ゴジラではゴジラがほぼ兵器の通用しない絶対的な存在として描かれていたために戦闘シーンは緊張感しかありませんでしたが、本作はウルトラマンなので爽快感のあるバトル。特にスペシウム光線や八つ裂き光輪が出た瞬間には自分の中の子ども心が飛び上がるのを感じました。
登場する禍威獣および外星人(宇宙人)は原作にも登場したネロンガ、ガボラ、ザラブ、メフィラス、ゼットン、ゾーフィ(ゾフィー)。二時間の尺の中でストーリーを成立させるため、特にザラブ以降の登場キャラにはそれぞれ意味のある役割が与えられています。それにしても山本耕史のメフィラスは当たり役すぎるだろ(笑)間違いなく本作の MVP だと思います。
映画館に行く前までは少し不安もあって、シン・ゴジラのような群像劇なのか(それはそれで見たいけど単なる二番煎じは嫌だ)、ウルトラマンらしい活躍はちゃんと見られるのか、人間と異星人の二面性を持つウルトラマンの内面がどう描かれるのか、果たしてそれらを全部描ききることができるのか…などどういう方向性で脚本がまとめられているのか気になっていました。実際はそれらが全て網羅されたフルコースのような映画でしたが、一方でそれぞれの要素が少しずつ食い足りない感覚もありました。クライマックスで描かれる「国境も利害関係も超えた人類の協力」は表現としてはあっさりしていたし(シンゴジのそれが良かっただけに)、ウルトラマンの爽快なバトルはあと 1~2 戦見たかった気もする。二時間一本じゃなくて三部作くらいでじっくり描いてほしかったところです。でも「間に立つ者」としてのウルトラマンの内面の変化については丁寧に描かれていて、一見幕の内弁当のようだけど芯はしっかりしていると感じました。
『シン・ゴジラ』という濃密な一本の映画と比較すると少し詰め込みすぎで消化不良な感覚もありましたが、それを差し引いても面白かった!期待通り、いやそれ以上でした。おそらく繰り返し観ることで見えてくるものもありそうなので、最低でもあと一回は映画館に足を運ぶつもり。でも今はその前に誰かと二人で居酒屋に行って、割り勘をしたい気分です(笑。
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